住宅ローンをお考えの方へ
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【確定年金とは】
保険型の個人年金保険の一種で、加入者の生死にかかわらず、5年、10年、15年など、あらかじめ決められた期間だけ年金を受け取れるもの。受給期間の途中で本人が死亡した場合には、残りの期間に応じて遺族に一時金が支払われる。一時金の金額は、掛け金の積み立て金額からすでに支払い済みの年金額を差し引いた残り。公的年金を受け取るまでのつなぎとして、あるいは一定期間だけ受給額を増やしたい場合などに活用できる。
オンラインゲームにはロバート・ヴェンチューリらが著書『ラスベガス』(Learning from Las Vegas)を出版し、モダニズムの理想は一般の人々のためには高尚過ぎると批判、むしろ猥雑で張りぼてのようなラスベガスや全米のロードサイドなどの日常的風景などを観察してその建築的シンボルを学ぶべきだと提唱、論議を呼んだ。「近代建築の失敗」の象徴とされたのが、ミズーリ州セントルイスのプルーイット・アイゴー団地(ミノル・ヤマサキ設計、1954年)であった。これはスラムを一掃した後の23haの敷地に建設された高層の集合住宅団地であるが、低予算で建設されたこと、低所得者層が主に住んだことなどで次第にスラムと化し、犯罪の巣窟となってしまった。荒廃のため1972年に取壊されたが、その爆破シーンは人々にモダニズムの終焉を印象付けた。
ネットキャッシングを乗り越えようとするポスト・モダニズム(ポストモダン)が提唱され、モダニズム建築によって否定された装飾や象徴性の復権などが唱えられた(参考:チャールズ・ジェンクス『ポスト・モダニズムの建築言語』1978年)。かつてモダニズム建築の旗手であったフィリップ・ジョンソンのAT&Tビル(古代ギリシアの神殿建築に由来するペディメント=三角破風を持つ)や、丹下健三の東京都庁舎(ゴシック教会堂の形態を思わせる)も、ポストモダンの作例とされる。
しかし、ポストモダンの動きには建築構造の工夫や素材の研究など、建築や空間を改善・改革する実質的・実験的な要素がなく、表層だけをにぎやかにしたものだという批判もある。ポストモダンはやや皮相なものに留まり、1980年代の一時の流行の感が強い。1990年代には新素材の利用やコンピュータを使った構造計算による大胆なフォルムが可能になる一方で、モダニズムの見直しも進み、機能性や簡素さが重要視されるようになり、モダニズムへの先祖帰りのような現象も起こった。モダニズムを超える新しい原理は未だ確立していないと考えられる。
日本にも明治時代末から大正時代に鉄筋コンクリート造という新しい技術が伝えられ、遠藤於莵、本野精吾らによって装飾の少ないモダニズムの先駆的な作品が造られた。
一般に日本の近代建築運動の始まりは山田守・石本喜久治・堀口捨己らの分離派建築会に置かれる。当時の建築界では鉄筋コンクリート造等の構造技術的な側面に注目が集まる一方、折衷主義的な建築観が主流であり、装飾のない建築は評価されなかった。こうした中、建築が芸術であることを主張し、過去の様式や装飾を否定した新しい造形を試みた分離派建築会の作品には、ドイツ表現主義の影響が見られる。
仕事とモダニズムの対立として象徴的な例とされたのが帝室博物館の設計コンペで、日本風の瓦屋根を乗せた帝冠様式の渡辺仁の案が当選し、ル・コルビュジエ張りの前川國男の案は敗れた。後に前川自身が「あの案で建てられていたら、自分は顔を上げて上野を歩けなかっただろう」といった言葉を述べているように、渡辺案より前川案が優れていたとは言い切れない。それはともかく、1930年代半ばには、建築雑誌に紹介される作品もモダニズム建築が主流になっていった。しかしナショナリズムの台頭を背景に、先述したようにモダニズム建築に対抗した現代的ビルディングに日本の伝統的な瓦屋根を載せた帝冠様式が発生し、愛知県庁、名古屋市役所等、日本的な意匠が求められた博物館以外にも用いられるようになった。だがこちらは国内よりもむしろ日本的な意匠がより求められる、満州など日本の植民地の方で積極的に多用された傾向がある。
第二次世界大戦後は、モダニズムの旗手として前川國男や丹下健三らが建築界をリードした。また、日本の数寄屋建築(桂離宮など)とモダニズムの近親性が論じられた。これは柱と梁で構成される日本の伝統的建築と、煉瓦や石を積み上げて造る西洋の建築を対比し、前者がモダニズムの理念と適合しているとするものである。
このように日本においては、モダニズム建築の理念が第二次世界大戦による中断を含みながらも急速に普及し、過去の歴史様式をまとった建築は否定されるようになった。この背景には、戦争の激化とともに物資が乏しくなったため、また戦後になると戦災から一刻も早く立ち直るため、とにかく時間をかけず廉価に建設することが社会的な要請として最優先され、職人が腕を振るって装飾を付けるようなことは無意味であり無駄だと考えられたこと、また海外及び日本の建築雑誌に紹介されるのはモダニズム建築ばかりであったことなどが理由として挙げられる。しかし、ヨーロッパでもアメリカでも歴史的建造物は大切にされており、日本の戦災復興、高度経済成長、バブル経済の過程の中で多くの名建築や伝統的な街並みが失われ、モダニズム建築の亜流が都市を埋め尽くし、個性のない街並みばかりが生れる結果になった。一方、昭和初期のモダニズム建築にも建て替えの時期や、超高層ビル建設のための取り壊しの危機が迫っており、良質なモダニズム建築も多く失われることが危惧されている。
履歴書の良さは、一般に理解されにくい。例えば、「ミースのシーグラムビルやSOMのレバーハウスは、デザイン的にも機能的にもきわめて優れたモダニズムの超高層建築であるが、その優れた点をきちんと理解していないその後の建築家らが、表面的な物真似をして、平凡で粗悪な、四角い箱というだけの無味乾燥な超高層建築を作り続けたために、モダニズム建築は誤解され、批判ばかりを助長する結果となった」というような言い方をされることがある。これは、おそらく正しいことを書き記しているのであろうが、素人には、十分に理解できないところがある。その理由として、モダニズム建築のよさ、または、よいモダニズム建築とそうでないものとの違いを、単なる表層に限ることなく、機能や思想まで含めて、具体的に、具体例をもって、示さないからである。したがって、感覚的にしかモダニズム建築の良さが理解できない面があり、「この作品は、とても端整である」といったイメージの評価や抽象的な評価に留まることがある。この点については、建築家でさえ全ての点を理解できないことがあるのだから無理もないとする意見がある一方で、モダニズム建築の優れた点を素人にも判るレベルで具体的に示す努力を怠ってきた建築家や建築評論家への批判もある。
かつての「モダニズム建築の旗手」たちが設計した建築は既に築後数十年が経過して老朽化が進み、今日の目から見ればさすがに時代性を感じさせており、機能的にも不十分な点が見られる。「機能主義の建築は機能を全うしたら存在意義はない」という見方もあるが、モダニズムをも歴史の一つとして捉え、その保存を論じる必要性が問われている。ヨーロッパでは近代建築運動自体を歴史的に評価する見方が支持されているが、日本では今後の課題として残されている。