高速バス TDL 菊花賞後は、史上初となる無敗でのグランプリ制覇を目指し、古馬と初対決の有馬記念に出走した。事前のファン投票では160,297票を集めて1位となった。レース当日の中山競馬場には16万人もの大観衆が押し寄せた。単勝オッズは1.3倍を記録し、レースもいつものように後方からレースを進めるも、ハーツクライの前に半馬身及ばず2着に敗れ8戦目にして初黒星を喫した。レース後、武豊は「今日は飛ぶような走りではなかった」とコメントを残している。(レースに関する詳細については第50回有馬記念を参照)。 2005年の活躍をうけ、この年のJRA賞では年度代表馬および最優秀3歳牡馬に選出された。JRA賞選考委員会の記者投票では最優秀3歳牡馬では満票(291票)を、年度代表馬では285票を獲得した。関西競馬記者クラブ賞も受賞した。 4歳(2006年) 阪神大賞典から宝塚記念まで 2006年初戦の阪神大賞典ではデルタブルースやトウカイトリックを寄せ付けず3 1/2馬身の差で優勝。順調なスタートを切った。 4月30日、続く第133回天皇賞(春)。スタートではまたも出遅れてたが、道中は最後方から2番手の位置で折り合いをつけて進んだ。そして第3コーナー手前の残り1000m地点からロングスパートを開始し、第4コーナーで早くも先頭に立つと、上がり最速の3ハロン33秒5の脚を繰出し、リンカーン(2着)に3 1/2馬身の差をつけ優勝し、レース史上最高の単勝支持率75.3%に応えた。勝ち時計の3分13秒4はレコードタイムで、1997年の第115回競走においてマヤノトップガンが記録した3分14秒4のレコードを1秒更新した。武豊が「この馬以上に強い馬がいるのかな」と言い、また2着に入ったリンカーン(3着に5馬身差をつけ、かつ自らも従来のレコードタイムを上回る走破時計を出す)に騎乗した横山典弘が「(リンカーンは、生まれた)時代が悪かった」と言うほどの内容だった。レース後の記念撮影で武豊は指を4本立てて四冠をアピールした。宮古島 ダイビング 5月8日、凱旋門賞出走に向けた海外遠征プランが発表され、その前哨戦として6月25日に京都競馬場で開催される第47回宝塚記念に出走する事となった(宝塚記念は例年、阪神競馬場で施行されるがこの年は阪神が芝コースの外回りの新設工事に伴い京都で代替開催となった)。事前に行われたファン投票では89,864票を集め1位となり、単勝支持率も天皇賞(春)に続きレース史上最高の75.2% をマークした。当日の京都競馬場は雨で馬場が悪くなっていたが、直線では馬場外目を鋭く伸び2着のナリタセンチュリーに4馬身差を付け優勝した。そして同競走を優勝したことで史上7頭目、史上最速での(収得賞金額)10億円ホースとなった。レース後の記念撮影で武豊は指を5本立てて五冠をアピールした。 凱旋門賞高速バス 横浜 凱旋門賞の行われるフランスに出発する前に、2006年7月2日にマイクロチップが埋め込まれた。これはフランスでは2006年から全ての出走馬にマイクロチップを埋め込むことが義務付けられているからである。日本では2007年に産まれてくる産駒から個体識別のためにマイクロチップを埋め込むことが義務付けられるが(2006年に産まれた産駒や現役馬は順次導入予定)、ディープインパクトは日本産馬としてはマイクロチップの埋め込み導入第1号となった。 ディープインパクトは8月2日から美浦トレーニングセンターに滞在して検疫を受けた。そして8月9日、凱旋門賞出走のために帯同馬のピカレスクコートと共に出国し、現地時間9日午後2時56分にフランスに到着した。その後はシャンティー競馬場の隣の調教場にあるカルロス・ラフォンパリアス厩舎に滞在し、主にそこで調整された。9月13日には凱旋門賞が開催されるロンシャン競馬場でも調教が行われた。高速バス 広島 10月1日、凱旋門賞は8頭という史上2番目の少頭数で行われた。直前の各ブックメーカーのオッズでは、前年の凱旋門賞優勝馬ハリケーンランや前年のブリーダーズカップ・ターフの優勝馬シロッコとともに3強の一角をなし、中には1番人気に推すところもあった。それまで欧州調教馬以外勝った事のない凱旋門賞だが、現地のメディアは「今回は(欧州以外の調教馬に初めて)勝たれても仕方ない。」という諦めムードさえ見られた。ロンシャン競馬場内では、日本人がディープインパクトの単勝馬券を多数購入したため、一時は1.1倍という断然の1番人気となった(最終的なオッズは1.5倍)。ビジネスホテル大阪 レースでは好スタートを切り、今までの控える競馬とは違い道中2〜3番手でレースを進めると、残り300m地点で一旦先頭に立ったものの、レイルリンクに残り100m地点、さらにゴール直前でプライドにも交わされて3位入線に終わった。敗因として武豊は「直線もハミを取っていなかった。いつもならある、もうひとつのギアを出すことができなかった」と語っている。また、レース上がり5ハロンが56秒台と非常に先行馬にとっては厳しい流れであった。高速バス 格安 ところが、レース後の理化学検査ではフランス競馬における禁止薬物イプラトロピウムが検出され、ディープインパクトは失格になった。(レースに関する詳細は第85回凱旋門賞を、禁止薬物問題についてはディープインパクト禁止薬物検出事件を参照)。この遠征について競馬評論家の石川ワタルは、「禁止薬物の詳細に無頓着なままフランスへ行き、世界最高峰レースに敢然と立ち向かう構図」「世界の眼からはドン・キホーテ的な立ち居振る舞いに見えることだろう」と評した[1]。SEOとは 帰国から引退まで ディープインパクトは10月4日にフランスから日本に帰国し、競馬学校で検疫が行われた。そして10月8日に池江によって10月29日の天皇賞(秋)が復帰初戦の予定とされたため、特例により同レースが開催される東京競馬場で着地検査が行われた。 10月11日には2006年限りで現役を引退することが発表され、51億円(8500万円×60株)のシンジケートが組まれ種牡馬となることが決定した。この額は日本で繋養された種牡馬としては史上最高価格である。しかしそのわずか数日後、上述の禁止薬物騒動が起こり、調教自体は続けられたものの、ディープインパクトの周辺は天皇賞どころではない雰囲気となってしまった。結局、「帰国してから日が浅いので」(池江談)天皇賞を回避し、日本国内での復帰初戦は第26回ジャパンカップにずれ込む事となった。正式に凱旋門賞失格が通告されたのはその直後である。パラオ ダイビング 迎えた11月26日の復帰戦ジャパンカップでは、2005年の有馬記念以来となったハーツクライとの再戦に注目が集まった。競馬マスコミは両馬の再戦を煽ったが、ディープインパクトは上述の薬物騒動→凱旋門賞失格のゴタゴタがまだ払拭されておらず、ハーツクライも、陣営が同馬に喘鳴症の兆候がある事を明かす(この時点では、レースには影響ないはずというスタンスであった)等、世紀の再戦というにはやや影のあるムードだった。ディープインパクトの単勝支持率は61.2%で、日本国内で走ったレースの中では最も低かったが、セブ ダイビング これでもジャパンカップ史上最高の支持率だった。なお、同レースは海外からは当年のカルティエ賞年度代表馬ウィジャボードを含む2頭しか出走せず、日本馬を合わせても11頭しかいないという、ジャパンカップとしては少数立てのレースとなった。レースはディープインパクトが終始最後方で待機、直線に向くと内に入ったウィジャボードを初めとする他馬を一気に捲くり、直線残り200mあたりからムチの連打で追い込み、そして50m手前でドリームパスポートを差し切り、2馬身差をつけ優勝した。レース後は武豊がウイニングランを行い、ファンに健在ぶりをアピールした。そして表彰式に出るときに武豊はファンと一緒になって万歳三唱をした。記念撮影では武の5本指に金子オーナーの1本指が加わって六冠を表す6本指が出来た。一方、再戦ムードを盛り上げたハーツクライは、陣営の予測以上に喘鳴症が進行しており、直線で馬群に沈んだ。大阪ビジネスホテル そして12月24日、引退レースとなる有馬記念に出走した。事前に行われたファン投票では119,940票を集め2年連続1位、かつファン投票で選ぶレースとしては3レース連続(2005年有馬記念・2006年宝塚記念・2006年有馬記念)1位となった。引退レースとして注目が集まったこのレースで単勝支持率は70.1% (オッズ1.2倍)と1957年にハクチカラが記録した76.1%に次ぐ史上2位となった。レースでは道中は後方3番手につけると、3コーナーから追い出して直線で先頭に立ち、2着ポップロックに3 馬身の差をつける圧勝で引退レースに勝利し、有終の美を飾った。武豊が「生涯最高のレースができた」(翌日のスポーツニッポンの手記にて)と言うほどのレース内容だった。また、このレースで中央競馬GI7勝の最多タイ記録(史上3頭目)を達成した。この後、ウイニングランは行われなかったが、記念撮影では武の5本指に金子オーナーの2本指が加わって七冠を表す7本指が出来た(レースに関する詳細については第51回有馬記念を参照)。石垣島 ダイビング そして有馬記念当日の全競走が終了した後に引退式が行われた。約5万人のファンが見守る中、同日の有馬記念のゼッケンを付けて登場し、ファンに最後の勇姿を披露した。 2006年のJRA賞では2年連続の年度代表馬(2002年・2003年のシンボリクリスエス以来の2頭目。啓衆社賞・優駿賞時代も含めると5頭目)および最優秀4歳以上牡馬に選出された。JRA賞選考委員会の記者投票では総得票数289票のうち年度代表馬で287票、最優秀4歳以上牡馬で288票を獲得した。昨年に続き関西競馬記者クラブ賞も受賞した。