作品の特徴 芥川龍之介の作品は、多く短篇小説が知られている。 高速バス しかし初期の作品には、西洋の文学を和訳したものも存在する(「バルタザアル」など)。英文科を出た芥川は、その文章構成の仕方も英文学的であるといわれている。[要出典] 夜行バス 芥川龍之介は、主に短編小説を書き、多くの傑作を残した。しかし、その一方で長編を物にすることはできなかった(未完小説として「邪宗門」「路上」がある)。 高速バス また、生活と芸術は相反するものだと考え、生活と芸術を切り離すという理想のもとに作品を執筆したと言われる。晩年には志賀直哉の「話らしい話のない」心境小説を肯定し、それまでのストーリー性のある自己の文学を完全否定する(その際の作品に「蜃気楼」が挙げられる)。 夜行バス 「杜子春」など古典を参考にしたものや(原話は唐の小説『杜子春伝』)、鈴木三重吉が創刊した『赤い鳥』に発表されたものなど児童向け作品も多い。一般的には、キリシタン物や平安朝を舞台とした王朝物などに分類される。また、古典(説話文学)から構想を得た作品も多い。 ダイビング 例えば、「羅生門」や「鼻」、「芋粥」などは『今昔物語集』を、「地獄変」などは『宇治拾遺物語』を題材としている。またアフォリズムの制作も得意としており、漢文などにも通じていた。 北海道旅行 [編集] 作品の変遷 芥川龍之介の作品は、初期と晩年でかなり違うと言われる。これは、多くの作風を試みたことを表しており、多くの支持者を持つ要因の一つでもあろう。 沖縄旅行 [編集] 初期 説話文学を典拠とした「羅生門」「鼻」「芋粥」など歴史物、加えてキリシタン物が有名である。日夏耿之介は初期の作品を「非常によい」と評価している。歴史物では、人間の内面、特にエゴイズムを描き出したものが多い。 沖縄旅行 [編集] 中期 芸術至上主義的な面が全面に出た「地獄変」などを書き、長編「邪宗門」に挑んだりしている。一見、有名な作品を書いているように見えるが、後世の文学者はあまり中期の芥川文学を評価していない。 北海道旅行 [編集] 晩年 自殺を考えていたのか、自分のこれまでの人生を見直したり、生死に関する作品が多く見られる。初期より晩年の方を高く評価する見解も示されている。「一塊の土」など、これまでと比べ現代を描くようになるが、台頭するプロレタリア文壇にブルジョア作家と攻撃されることとなる。 沖縄 レンタカー この頃から告白的自伝を書き始める(「大道寺信輔の半生」「点鬼簿」など)。晩年の代表作「河童」は、河童の世界を描くことで人間社会を痛烈に批判しており、当時の人々に問題を提起した。 沖縄旅行 レンタカー [編集] 自殺 に関して 1927年7月24日、田端の自室で雨の降りしきる中、芥川龍之介は服毒自殺をおこない、社会に衝撃を与えた。使用した薬品については、ベロナールとジェノアルとする説が一般的である。死の数日前に芥川を訪ねた、同じ漱石門下で親友の内田百閧ノよれば、芥川はその時点でもう大量の睡眠薬でべろべろになっており、起きたと思ったらまた眠っているという状態だったという。 札幌 ビジネスホテル 既に自殺を決意し、体を睡眠薬に徐々に慣らしていたのだろうと推測される。一方で、自殺の直前には身辺の者に自殺を仄めかす言動を多く残しており、実際には早期に発見されることを望んだ狂言自殺で、たまたま発見が遅れたために手遅れになったとする説もある。 石垣 ホテル また、死後に見つかり、久米正雄に宛てたとされる遺書「或旧友へ送る手記[1]」の中では自殺の手段や場所について具体的に書かれ、「僕はこの二年ばかりの間は死ぬことばかり考へつづけた。(中略)・・・僕は内心自殺することに定め、あらゆる機会を利用してこの薬品を手に入れようとした」とあることから、記述を信頼すれば計画的に自殺を企てていた節も伺える。 石垣島 宿泊 遺書として、妻文に宛てた手紙、菊池寛、小穴隆一に宛てた手紙がある。芥川が自殺の動機として記した「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」との言葉は、今日一般的にも有名であるが、自殺直前の芥川の厭世的、あるいは「病」的な心境は「河童」を初めとする晩年の作品群に明確に表現されており、「ぼんやりした不安」の一言のみから芥川の自殺の動機を考えるべきではないとも言える。芥川命日は小説「河童」から取って河童忌と称される。 死の前日、芥川は近所に住む室生犀星を訪ねたが、犀星は雑誌の取材のため、上野に出かけており留守であった。犀星は後年まで「もし私が外出しなかったら、芥川君の話を聞き、自殺を思いとどまらせたかった」と、悔やんでいたという。また、死の直前に 「橋の上ゆ胡瓜なくれは水ひびきすなはち見ゆる禿の頭 」 と河童に関する作を残した。 死の8年後、親友で文藝春秋社主の菊池寛が、芥川の名を冠した新人文学賞「芥川龍之介賞」を設けた。芥川賞は直木賞と並ぶ文学賞として現在まで続いている。 龍之介が服毒自殺にてこの世を去った1927年7月24日の朝、文夫人は「お父さん、良かったですね」と彼に語りかけたという話もある。 [編集] その他 晩年、「文芸的な、余りに文芸的な」で『新思潮』の先輩・谷崎潤一郎と対決し、「物語の面白さ」を主張する谷崎に対して、「物語の面白さ」が小説の質を決めないと反論し、戦後の物語批判的な文壇のメインストリームを予想した。 笑顔の写真がほとんど存在しないことで有名であるが、晩年のフィルム映像では、息子たちと共に笑顔を見せる芥川の姿が記録されている。なお、この映像では比呂志と多加志は映っているが、也寸志はこの時家の中で寝ていたため映っていない。 1918年に発表したキリシタン物の小説「奉教人の死」の末尾の方に「・・余が所蔵に関わる、長崎耶蘇出版の一書、題して「れげんだ・おうれあ」と云ふ。蓋し、LEGENDA AUREAの意なり。・・体裁は上下二巻、美濃紙摺草体交りの平仮名文にして(略)」と架空の記述を挿入してキリシタン研究に血眼になっていた当時の専門家の注意を惹き、碩学の内田魯庵が真に受けてしまったという逸話がある。 三男也寸志の回想によれば、父の遺品にはSPレコードがあり、そのうち多くを占めていたのはストラヴィンスキーだったという。『火の鳥』(組曲版)と『ペトルーシュカ』を所有していたらしいが、演奏者などの詳細は不明である。 中国の北京を訪れた折胡適に会っている。胡適と検閲の問題などについて語り合った。 師・夏目漱石の葬儀の際に江口渙と共に受付を務め、弔問に来た森鴎外の名刺を受け取っている。 高速バス 格安 子供の名前は、それぞれ親友の菊池寛の「寛」(長男:比呂志)、小穴隆一の「隆」(次男:多加志)、恒藤恭の「恭」(三男:也寸志)をもらって漢字を替えて名づけたもの。友情に厚かった芥川の人柄が偲ばれる。 子煩悩であったという。 高速バス 大阪 「文芸家たらんとする諸君に与ふ」という小文において、数学や体操を勤勉に学ばなければよい文芸家にはなれないと述べている[1]。 黒澤明の『羅生門』(日本映画初のヴェネチア国際映画祭金獅子賞)は芥川の「藪の中」「羅生門」から題材を借りている。 高速バス 京都 「歯車」の内容から、晩年には自分自身のドッペルゲンガー(Doppelganger)を見たのではないか、また、偏頭痛あるいはその前兆症状である閃輝暗点を患っていたのではないか、という説がある。 高速バス 神戸 煙草が大好きで、1日に180本も吸っていたという。 芥川は左翼、反軍的な自説を主張しており、実際にそのような作品も多数発表している。軍人の階級争いを「幼稚園児のお遊戯みたいだ」と自著で酷評したほどである。 高速バス 東京 だが、当時は軍が著作物の検閲をするのが通常であったため、この検閲によって訂正・加筆・削除を余儀なくせざるをえなかった箇所も作品内にて多数存在する。 芥川は自著にて天照大神を登場させる際、別名の「大日?貴」(おおひるめむち)を用いた。 高速バス 関西 これは「天照大神」と言う呼称では皇祖神をそのまま文中に登場させてしまうことになるため、太陽神、それも自然神という性格付けで「大日?貴」を用いなければならなかったためである。 夜行バス 格安 [編集] 主な著作 老年 1914年 羅生門 1915年 鼻 1916年 芋粥 1916年 煙草と悪魔 1916年 戯作三昧 1917年 蜘蛛の糸 1918年 地獄変 1918年 邪宗門 1918年 犬と笛 1919年 魔術 1919年 蜜柑 1919年 舞踏会 1920年 夜行バス 大阪 秋 1920年 南京の基督 1920年 杜子春 1920年 アグニの神 1920年 藪の中 1921年 将軍 1922年 三つの宝 1922年 トロッコ 1922年 魚河岸 1922年 おぎん 1922年 夜行バス 京都 侏儒の言葉 1923年〜1927年 漱石山房の冬 1923年 猿蟹合戦 1923年 雛 1923年 おしの 1923年 あばばばば 1923年 一塊の土 1924年 大導寺信輔の半生 1925年 玄鶴山房 1927年 河童 1927年 夜行バス 神戸 誘惑 1927年 浅草公園 1927年 文芸的な、余りに文芸的な 1927年 歯車 1927年 或阿呆の一生 1927年 西方の人 1927年 [編集] 家族 妻は海軍少佐・塚本能五郎の娘、文。 夜行バス 東京 俳優の芥川比呂志は長男、作曲家の芥川也寸志は三男(次男の芥川多加志は最も文学志向が強かったが戦死)。 ファッションデザイナーの芥川貴之志[2]とメディアコーディネーターの芥川麻実子は孫。 ナレーターの芥川隆行は遠戚[要出典]。 夜行バス 関西 [編集] 脚注・出典 ^ 片野善一郎 『数学を愛した作家たち』 新潮社、2006年、15〜16頁。 ^ 2007年8月15日放送「世界バリバリ★バリュー」、2008年4月20日放送「大胆MAP」より